美々津をブラリ。

ぶらり

 宮崎県日向市美々津町の歴史ある港のまわりをぶらりと散策してきました。

 明治時代には美々津県の県庁所在地として栄えた場所でした。

ここ美々津は、日本の初代天皇である神武天皇が大和の国(奈良県)へ向けて御船出した地とされています。






 灯台のある島と、その左側にある小さな島の間を抜けていったと伝えられております。

 神武天皇が御船出される際に、優秀な人物はすべて大和へ連れていかれたと学校で習いました。そのため、残された宮崎県人は・・・。

 また、この場所には、この地を訪れた俳人の種田山頭火が俳句を詠み、その詩が石碑に刻まれています。 残念ながら郷土の歌人若山牧水の碑はありませんでした。


種田山頭火は、昭和5年10月に、この地を訪れて詠んだようです。


墓がならんで
そこまで
波がおしよせて

このころ、この場所は墓場で、すぐ 前が砂浜になっており、そこへ波が打ち寄せていた景色を詠んだものといわれております。



次はぶらりと街並を見ていきます。

 美々津は昭和61年12月8日に国選定の重要伝統的建造物群保存地区となっています。

 概要(立てられていた看板より)

 「美々津は、古い歴史を持つ港町で、中世には集落が営まれたと考えられており、江戸時代に入ると、高鍋藩の商業港として重要視され、藩主秋月氏もこの港を参勤交代に利用していた。

 保存地区に選定された上町、中町、下町は耳川河口に築かれた港の隣接する地に当たり、江戸時代から明治時代の平入・妻入建物が数多く残されている。

 また、港から南に延びる3本の主道路や、それに直交するツキヌケ(防火地)は江戸時代に設けられたものと伝えられており、旧い敷地割りや石畳などとともに美々津の歴史的景観を構成する重要な要素になっている。」
との事です。

 先ほどの山頭火の石碑があったところから北側(耳川)の方に歩いてくると、江戸時代に建てられた建物が続く街並になります。

いい風情です。趣があります

 ところどころに、カフェや資料館などがありますので、ゆっくりお茶をするといいかもしれません。

 街並を抜けると、耳川の河口になるのですが、

 なんとここが、日本海軍発祥の地です。

 昔、家電話の子機にこんな形のものがありましたね。


 日本海軍発祥の碑のすぐ横に置かれているこの錨は「両爪錨」で、昭和17年に「日本海軍発祥の碑」とともに作られたもので、太平洋戦争ごの混乱期を経て、自衛隊に移管していたものを半世紀余りを経た平成14年に、海軍発祥の地に帰還し、設置されたものだそうです。

 日本海軍は、天皇が統帥された海軍であり、神武天皇御統帥の水軍が初めて構成され、発進したことからこの地を日本海軍発祥の地と定めたそうです。

 この時期、この横の港では、カマスが釣れるシーズンのようでたくさんの人が釣りをしていました。
 今度、私も釣りに来ようと思います。

→ ぶらり へ

コメント